日本の作家、村上春樹はあるエッセイの中で音楽について、「音楽には深く、優しく、私的な風景がある」「もし私たちの生活に音楽がなかったら、それは乾いた砂漠でしかない」と述べたことがある!たしかに音楽は、地球上のほとんどの場所に漂うほど重要なものであり、もちろんスポーツの世界も例外ではなく、あらゆるスポーツシーンで音楽は重要な役割を果たしている。本連載では、印象的なスポーツBGM(バックグラウンド・ミュージック)をいくつか選んでみたが、もちろん何万曲もあるわけで、音楽の話も枚挙にいとまがなく、筆者のチョイスは避けられないが、そのチョイスは常に主観的なものであり、結局のところ、個人のスポーツ観戦歴は、その人の人生歴にほぼ等しいわけで、読者の皆様にはどうかご容赦いただきたい。

本連載で最初に取り上げるスポーツBGMは、スポーツの種類や国を問わず、現在のグローバルなスポーツ・シーンにおいて、完全に国境を越えた存在感を放つ1曲のはずだ!それは、デトロイト出身のデュオ、ホワイト・ストライプスの4thアルバム『Elephant』収録曲、『Seven Nation Army』だ。 それまでホワイト・ストライプスの影響力は地元以外にはあまり及んでおらず、フロントマンのジャック・ホワイトですら2001年のインタビューで「スタジアムで演奏できるなんて思ってもみなかった」と語っている。フロントマンのジャック・ホワイトでさえ、2001年のインタビューで、自分たちはスタジアムで演奏したり、チャートを賑わすヒット曲を書いたりしたいとは思っていなかったと語っている。ジャック・ホワイトによれば、この曲はオーストラリアで制作されたもので、最初はメグ・ホワイト(ホワイト・ストライプスのメンバーで、ジャックとメグは血縁関係にあると主張していたが、実際は夫婦だったが2000年に離婚している)と共通の友人ベン・ホワイト(同じくストライプスのメンバーだった)にイントロと音符を聞かせたという。ジャック・ホワイトは、当時スワンクが通りかかり、イントロに「OK」と短く返事をしたが、スワンク自身はイントロが気持ち悪くて聴きづらい、好きではないと言ったジャック・ホワイトに、礼儀正しく「OK」と返事をしたと回想している。彼は、礼儀としてジャック・ホワイトにこう返すしかなかった。「よくわからないけど、もっといいものに変えられると思うよ ... 続きを読む

2003年のアルバム・デビュー以来、ビルボード・チャート76位からスタートしたこの曲は、ファンの部屋や小さなバーで演奏されるニッチな人気曲だったが、ひょんなことから数ヶ月の間に欧州サッカー界で人気が高まり、世界中のファンや一部のスタジアムのスポーツ・アンセムとなった。なぜ、セブン・ネーション・アーミーは欧州サッカーの試合で愛唱されるようになり、やがてスポーツ・アンセムとして広く知られるようになったのだろうか?2003年にイタリアのミラノで始まった物語の始まりに戻ろう!

ベルギーの伝統的なサッカークラブであるクラブ・ブルージュや、2003年にブルージュがUEFAチャンピオンズリーグのグループステージでイタリアのミラノに遠征したこと(そこでブルージュは巨人と対戦することになる)などが、多くの情報源から指摘されている。

ACミラン(サッカークラブ)

)、ブルージュのファンが試合前にミラノのバーに集まって一杯飲んでいた。そのバーでは『セブン・ネーション・アーミー』が流れていたので、ベルギーのファンはサン・シーロまで鼻歌を歌い続けたのだが、さらに驚くべきことに、その試合でダヴィド・ブルージュはゴリアテを1-0で下したのである!

ACミラン(サッカークラブ)

ファンは七国民軍のビートを歌い続けた!ブルージュのファンは、ベルギーに帰るまでずっと七人の国軍の感染力のあるビート(OH OH-OH OH OH)を歌い続け、この歌は非公式なブルージュの応援歌となり、ホームチームがゴールを決めるたびにスタジアムのPAシステムは七人の国軍を大音量で流し、ホームのファン全員が一緒に祝うことができた。ホームチームがゴールを決めるたびに、スタジアムのPAシステムは大音量でセブン・ネイション・アーミーを流し、ホームのファン全員が祝福した。

その3年後、ブルージュはチャンピオンズリーグのグループステージでASローマと対戦したが、この時はASローマが2-1で勝利し、イタリア勢は勝利を収めただけでなく、イタリアのファンが「ポ・ポ・ポ・ソング」の愛称で呼んでいる「セブン・ネイション・アーミー」を持ち帰った!当時ローマのキャプテンを務めていたフランチェスコ・トッティは、ブルージュのスタジアムに足を踏み入れるまではセブン・ネイション・アーミーを知らなかったが、試合後、頭の中がポ・ポ・ポ・ポのメロディーでいっぱいになり、頭から離れなくなったので、すぐに近くのレコード屋に行ってアルバムを買ったと語っている!このように、セブン・ネーション・アーミーはイタリアからベルギーへ、そしてまたイタリアへと渡り歩き、2006年にはドイツでFIFAワールドカップが開催され、この曲はイタリア語となった!

ナショナルチーム

セブン・ネイション・アーミーの非公式アンセムであるこの曲の人気は、その後、一国の国境を離れて一気に高まり、ワールドカップはご存知の通りイタリアが優勝した。決勝トーナメントでフランスを破ったことが確認された後、ローマの通りは基本的に一晩中ポ・ポ・ソングを歌う人々で埋め尽くされた!フロントマンのジャック・ホワイトは、イタリアのファンがこの曲を自分たちのものだと主張してくれたことを嬉しく思うと語った!この言葉を発した当時、ジャック・ホワイト自身は、自分の作った曲が海を渡って母国アメリカに戻り、そこでセンセーションを巻き起こし、スポーツ・ファンに愛され、受け入れられ、現代を代表するスポーツBGMのひとつになるとは知らなかっただろう。

41ヒット曲 コレクション

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