
2002年にワールドカップが再燃して以来、2006年、2010年、2014年、2018年、2022年と5回の大会が開催され、サッカー代表チームは馬車馬のように入れ替わり立ち替わり出場してきた。一方、トルコはサッカー代表チームとともに戦い、5大会連続でワールドカップ予選を突破してきた。2002年を振り返ると、トルコの本大会出場は、あの栄光の3対0の戦いのためだけにあったように思える。
アジアとヨーロッパにまたがるトルコの面積は36万平方キロメートルで、その78.97パーセントは小アジア半島に位置し、黒海海峡(ボスポラス海峡)の西側には2万3000平方キロメートルがある。しかし、トルコは自国を標準的なヨーロッパの国だと思い込んでいる。この認識は理解できなくもない。何しろ、かつてはヨーロッパが支配的であり、アメリカは北米で唯一の超大国であると同時に、ヨーロッパ文明の遺産と見なされていたのだから。トルコはヨーロッパの主戦場であるNATOに加盟しただけでなく、EUへの加盟も積極的に模索している。残念ながら、EUはトルコの加盟に耳を貸さないようだ。
サッカーの分野において、ヨーロッパは間違いなく世界最強の大陸である。トルコのサッカーへの道は1954年のスイス大会から始まり、ヨーロッパチームとして初出場を果たし、ワールドカップ出場を果たした。意外なことに、トルコのワールドカップ出場は、2002年を除けば歴史上たった1回しかない。この数字はスコットランドやオーストリアといったヨーロッパの三流チームよりもさらに少ない。スコットランドは5大会連続の予選突破を含む8大会、オーストリアは1954年、1982年、1990年、1998年の4大会に出場している。
1958年、トルコはワールドカップの開幕戦で西ドイツに4-1の大敗を喫し、第2戦では韓国を7-0で粉砕した。西ドイツと勝ち点で並んだトルコはプレーオフを戦うことになったが、結局2-7で敗れ、西ドイツが優勝した。そのワールドカップは、韓国にとっては間違いなく悪夢であった。何年もかけて技術を磨いた韓国は、今やアジアのトップチームであり、1986年のワールドカップ以来、世界の舞台から落ちたことはない。
1982年のワールドカップ予選で、トルコはソ連、チェコスロバキア、ウェールズ、アイスランドと同じグループに入り、8戦全敗だった。
2002年ワールドカップは、トルコにとって誇らしい瞬間だった。代表チームを3:0で破り、コスタリカと2:2で引き分け、ブラジルに敗れたもののなんとか日本にたどり着いた。準々決勝でトルコはセネガルと対戦し、結局敗れた。
しかし、トルコは栄光の後、再びワールドカップに出場できるとは思っていなかった。 ワールドカップでは、トルコの成績はどちらかというと散々なものだったが、ヨーロッパリーグでは比較的好成績を残している。トルコは1996年、2000年(ベスト8)、2008年(ベスト4)、2016年(24チーム)、ユーロ2020に出場した。全体的に見れば、トルコはヨーロッパでは中位に位置し、スウェーデンやデンマークのような国々と競い合うことができる。アジアからヨーロッパに移ってからも、トルコの生活は良くなっていない。
トルコがアジアで日本、韓国、イラン、サウジアラビア、オーストラリアと互角に渡り合えば、ワールドカップ出場はほぼ確実だ。情報筋によれば、日本がアジアからヨーロッパに進出したいのであれば、アジアの強豪国は歓迎されるかもしれないが、ワールドカップ出場という点では、日本の運命はトルコと同じようなものになるかもしれないとのことだ。










